テスト4 カイツブリ(鳰) 



カイツブリz2



テスト4
カイツブリ(鳰 又は 鸊鷉)


カメラ扱いの上手な人は、しっかりと構図を決め、シャッターを切られるのでしょうが
私の場合は適当にシャッターを切っていますので、トリミング作業は欠かせません。
そこで、トリミングとそれに付随したサイズ変更は
PC本体に入っている「フォトギャラリー」を使うことにしました。
しかし、この手順がなかなか覚えられず、何度も同じことを繰り返すので
同じように処理した画像が何枚も保存され、その中から1枚を選ぶという始末です。
歌の文句ではありませんが、3歩進んで2歩下がりながらでも
前に進んでいけばいいかと思っています。

次回からは平常パターンに戻り、投稿していきます。



スポンサーサイト

Posted on 2014/01/21 Tue. 11:42 [edit]

CM: 2
TB: --

top △

テスト3 ハシビロガモ(嘴広鴨) 



ハシビロガモz2
左 オス   右 メス


テスト3
ハシビロガモ(嘴広鴨)



今日のテスト画像は
「XP」で外付けハードデスクに移していた画像を
こちらの「8」で画像処理する作業でした。
先に一度同じような作業をしているので、簡単だろうと思いましたが
今回も行きつ戻りつしながら仕上げました。

もの覚えの悪いのは天性のものですから、焦っても仕方がなく
曲がりなりにも画像処理ができましたので
明日もう一度テスト画像を投稿し
平常パターンに戻りたいと思っています。



Posted on 2014/01/20 Mon. 11:12 [edit]

CM: 2
TB: --

top △

テスト2 ピラカンサ 



ピラカンサs1-1


テスト2
ピラカンサの果実


昨日作業した画像処理などはほとんど覚えていませんでした。
前日までの作業をポツポツと思い出しながら、画像処理に取り掛かりました。

PCに取り込んだファイルから画像調整をして
「フォトギャラリー」に移り、調整が終わった画像を選び
「トリミング」や「サイズ変更」をするまでに数時間かかりました。
文章にすればたったこれだけのことですが
生来が不器用で、先にも書いたように日々硬化している脳では
簡単なことでも一進一退を繰り返し、今日の1枚を仕上げました。


※ 昨日の昼間は、ワードの使い方で「ページレイアウト」に
「ハガキ」の項目が出てこないので
PCメーカーのコンタクトセンターに電話したら
当社ではPCのトラブルなどには対応するが
「ワード」などについては「マイクロソフト」に問い合わせてくれということでした。
そこで、マイクロソフトサポートに電話をしたら
若い女性が電話口に出てきて、親切丁寧に対応してくれました。
ページレイアウトに「ハガキ」が出ていなかったのは
プリンターと相互関係があるとかで
PC画面を見ながら指示された項目などをたどり
無事「ハガキ」の設定ができるようになりました。
たった1つの些細なことでしたが、約1時間ほどの作業でした。
ほかに2~3、XPで使えたものが「8」では見当たらないものなどを教えてもらいました。

PC扱いに慣れた人であれば、ネット検索で疑問点を解決していくのでしょうが
電話の待ち時間が相当長くなっても
サポートセンターなどから直接指示、指導してもらうのが
PCの専門用語などが理解できない者にとっては最善策と思いました。


ここ2~3日PCにかじりついていますので、ストレス解消
それと、同じ作業の復習などを兼ね、明日の投稿は見合わせます。



Posted on 2014/01/18 Sat. 11:45 [edit]

CM: 2
TB: --

top △

テスト1  マガモ(真鴨) 



sマガモ1 (800x531)


テスト1
マガモ(真鴨)


Windows8からの投稿です。

先ず、カメラからPCに取り込むまでに手間取り
次に、画像調整、画像処理(トリミング、サイズ変更)を
あっちのソフト、こっちのソフトと使い分けながら
一枚の画像がなんとか出来上がり
今まで通りのブログ投稿作業にたどり着きました。
しかし、画像調整などの作業は試行錯誤の繰り返しでしたので
どうして出来上がったのかを覚えておらず
次の画像処理をするには、また1からのやり直しになります。

70半ばを過ぎた不器用な高齢者が
10数年使い慣れたXPから離れ、新しい仕様の「8」を使いこなすまでには
試行錯誤を重ね、何度も同じことを繰り返し、少しずつ覚えていくしかないようです。

今の状態で困ったことは、XPで使っていた画像処理のソフトが使えなくなり
トリミングに関しては 、これまで守ってきた一定サイズが保てなくなりました。



Posted on 2014/01/17 Fri. 11:16 [edit]

CM: 4
TB: --

top △

国民学校1年生の夏 



毎日暑い日が続いて、花、虫、鳥撮りも怠りがちになっています。
そろそろ身辺整理でもしようかと、サイドボードを開けたら
埃をかぶった1冊のスクラップブックが目に入りました。
ページをめくったら、地元紙に寄稿した駄文の切り抜きがありました。
日付を見たら昭和55年8月でした。33年前の原稿です。
少し長めの文章でしたが転記しました。

拙い文章ですが、お付き合いくだされば有難いです。
若い人たちには、今では死語になっているような単語が出てきますがお許し下さい。









国民学校1年生の夏
垂●敏●

 あの日、昭和20年8月15日は確かに暑かった。
 庭に植えられたアオギリには蝉の声が忙しかった。
 くさむらのあちこちではキリギリスの間延びした翅音が、その日の暑さを確かめているようであった。
 庭の片隅にはヒマ(蓖麻=トウゴマの別名)が自分の背丈より高く生茂り、ヒマの間をかきわけて外へ出ると、下肥の臭いが地熱と共にわき上がってきて、田んぼが見渡せた。
 そこではお百姓さんたちが丹精こめて育てた稲が勢いよく青々とした葉を立てて、秋の実りを待っているのであった。

 私たちは昭和20年4月、国民学校初等科1年生として入学した。
 入学と同時に教えられたのは、避難の仕方であった。
 空襲警報のサイレンが鳴ると如何にして早く校庭に集まり、自分の町内の班に入り、上級生の指示に従って下校するかであった。
 既に大牟田では敵機(B29)が来襲し、延命公園の高射砲台から何発もの弾がB29めがけて打ち出されていたが、命中したという話は聞かなかった。
 私たちの登下校はランドセルの外に防空頭巾を背負い、下級生は上級生のいいつけをよく守り、二列縦隊になって進まねばならなかったし、「気ヲツケ!前ニナラエ!」の言葉は入学して間もなく日常化したものだった。
 終戦までの約四ヵ月、私たちの勉強というものは、ただ「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」と書かれた国語の教科書の一頁を覚えたに過ぎず、その他に何を教わったのか、全く覚えていない。
 授業が始まると空襲警報のサイレンが鳴り、すぐ校庭に集まって上級生の指導で下校という繰り返しでは、勉強どころではなく、集団生活の訓練であったような気がする。
 今でも時々火災のサイレンが聞こえると、あの頃の空襲警報を思い出す。長く鳴り響くサイレンの音で、私たちは校庭に集まり、急ぎ帰宅するのであった。そうこうするうちにブウンブウンと不気味な爆音がかすかに聞こえてき、やがてはるか上空を銀色に輝く憎っくきB29が編隊で姿を現すのであった。その恐怖感というのは、いつ自分の頭上に爆弾が落とされるかというものであり、それは子供心にも死の恐怖感につながるものであった。
 ゆうれいやお化けが怖くなったのは戦争が終わってからである。その頃の私たちの前にはゆうれいやお化けもどこかへ疎開していなかったのではなかろうか。

 私は大牟田一回目の空襲があったのち、姉と二人で叔母に連れられて山鹿に疎開した。
 さすがにここは大牟田と違い、ひんぱんには空襲警報のサイレンは鳴らず、ある程度のんびりした生活を送ることが出来た。
 大牟田三回目の空襲はここ山鹿でも空襲警報が発令され、防空壕の入り口に立って大牟田の夜空を眺めていた。そして、焼夷弾(しょういだん)が雨のように落とされるのをちょうど花火を見るような気持ちで見ていたのである。自分の家が焼けているのも知らず。
 それから間もなくして、あの日がやってきた。
 暑かった。太陽は頭上にあって屋根を焦がしていた。雲ひとつなかった。
 正午から偉い人の放送があるからといって、その日は早めの昼食をとり、叔母は姉と私を残して緊張した面持ちで近所にラジオを聞きに行った。私たちは不安な気持ちを抑えて叔母の帰りを待った。やがて叔母は目を真っ赤にして帰ってきた。
 戦争が終わったのを知った。
 私はぼんやりした気持ちで蝉が忙しく鳴く声を聞きながら、戦争が終わったというのはどんなことだろうかと考えていた。
 空襲警報のサイレンは鳴らないのだろうか、防空頭巾を被り、じめじめした防空壕に入ってB29が遠ざかるのを今か今かと不安におののきながら待たなくてもいいのだろうか、などと。




Posted on 2013/08/15 Thu. 11:00 [edit]

CM: 4
TB: --

top △